Story Of JC Life 第1回


東京青年会議所のOBには多くの方々がいらっしゃいます。先輩の皆さんはどのようなJCライフを過ごしてきたのか?
どのような事を行ってきたのか?語って頂く、「私のJC活動履歴書」です。
第一回目は「週刊TVガイド」等を発行している(株)東京ニュース通信社代表取締役会長の奥山忠先輩です。

奥山 忠 先輩
東京青年会議所 第25代理事長

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第三章

入会した年には会員拡大委員会に所属し、翌年には経済活動委員会に所属しました。有名な林達夫さんが委員長で、それから未だに子分です。(笑)林さんにはいろいろと教えて頂きました。私が理事長になった時に「おい、奥忠。お前みたいに気取っていて、カラオケでも外国の歌なんか歌っている奴は地方に行くと鼻つまみになるぞ。」
「では、何を歌えばいいんでしょう?」
「一番良いのは演歌だな。」
「演歌は何を?」
「『女の路』が一番だな。」
あとは『みちのく一人旅』『岸壁の母』と教えられました。それをするようになってから地方でも人気が出ること(笑)今でも感謝しています。 林委員長の委員会は95名の登録数でいつも90人以上の出席率を誇る委員会でした。毎回林さんは全員に電話をしていましたし、時には手紙を全員に一筆加えて送っていました。
「奥忠、明日委員会頼むぞ。」
「はい、わかりました。」・・・行かざるをえませんでした。(笑)親分肌で素晴らしい能力のある人でした。 理事長選挙に臨んだときも林さんが影の参謀役として助けてくれました。当時は経済活動委員会と社会開発委員会がお互いに切磋琢磨していましたが、前回の理事長選挙で林さんが経済活動委員会代表として出馬し、敗れていたので、その想いを私に託してくれたのだと思います。50名の理事の投票による理事会選挙で次年度理事長を決めていたのですが、理事長を除いて24票対24票の同票となりました。1名の理事が家庭の事情で欠席していたのです。最終的に理事長が私に投票し、次年度の理事長に選出されました。その時林さんと抱き合って喜んだのを覚えています。それから益々付き合いは深くなっていきました。

第4章へ 続く


奥山 忠 (おくやま ただし)
(社)東京青年会議所 第25代理事長
(株)東京ニュース通信社 代表取締役会長

主なJC歴
1968年
入会
1970年
経営開発委員会 幹事
1971年
理事 指導力開発室 プログラムマネージャー
1972年
常任理事 指導力開発室 室長
1973年
副理事長
1974年
理事長