Story Of JC Life 第1回


東京青年会議所のOBには多くの方々がいらっしゃいます。先輩の皆さんはどのようなJCライフを過ごしてきたのか?
どのような事を行ってきたのか?語って頂く、「私のJC活動履歴書」です。
第一回目は「週刊TVガイド」等を発行している(株)東京ニュース通信社代表取締役会長の奥山忠先輩です。

奥山 忠 先輩
東京青年会議所 第25代理事長

<<第4章

第五章

委員長という役職を経験することはありませんでしたが、経営開発委員会幹事から指導力開発室プログラムマネージャー、同室長となり、その後副理事長に就任しました。その時の理事長はSB食品の山崎至朗さんでした。当時は四人いた副理事長の中から次年度の理事長が選ばれるのが通例で、たまたま四人の副理事長とお茶を飲んでいる時のことです。
「次の理事長は誰になるんだろう」といった話をしている最中、誰も私の顔を見ずに、三人だけで話を始めました。 「君がやれよ。」「いやぁ、お前が良いんじゃないか。」等々。 そこで面白く無かった私は「ちょっと待ってくれ。俺の事はどうなんだ。俺はやるよ。」と言ったのでした。他の三人の副理事長はギョッとした顔をして、その時初めて顔を向けたものです。私は、蚊帳の外に置かれた事がよほど悔しかったんですね。「私はやりますから。」と言って席を立った事を覚えています。今思うと「器が小さいなぁ」と思いますが。(笑)
そこで何名かに相談をしたところ、 「それはやるべきだ。」と言う話になり立候補を決意しました。 立候補にあたり、特に勉強したことはありませんでしたが、ロバート議事法を再確認したり、先輩の方々の顔と名前を確認したりはしていました。また日中友好運動だけは表に出してやっていこうと考えていました。 その日中友好運動についての話ですが、副理事長に就任した当初、山崎理事長より、「奥忠、これからは中国との関係が最も重要になる。だから日中問題を担当してくれ。」と言われ、始めたものでした。今から30年以上も前の話です。山崎さんはとても先見の明がある方でしたが、仲人が田中角栄さんで、東京JCの理事長に就任が決まり挨拶に伺った際、「これからは中国との関係が大切なんだ。対中国のことをこれから考えていかないと今後の日本は成り立たないぞ。」と伺った事もこの運動を始める要因になりました。

第6章へ 続く


奥山 忠 (おくやま ただし)
(社)東京青年会議所 第25代理事長
(株)東京ニュース通信社 代表取締役会長

主なJC歴
1968年
入会
1970年
経営開発委員会 幹事
1971年
理事 指導力開発室 プログラムマネージャー
1972年
常任理事 指導力開発室 室長
1973年
副理事長
1974年
理事長