山本 泰人 先輩
東京青年会議所 第37代理事長
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第二章
入会当時、黒川光博さんが理事長をされており、近藤昌義さん(当時理事)に、「山本をお前に預けるからしっかり鍛えてやってくれ」とおっしゃってくださったんです。ですから最初に配属されたのは近藤理事の率いる福祉委員会でした。活動内容は障がい者福祉活動。杉並の児童福祉会館等に通ったりしながら障がい者の方々をお風呂に入れて体を洗ったり・・。そこでボランティアを行っていました。私達JCメンバー以外にもボランティアの方が思ったより多かったことや、ハンディを持った子供たちが、健常者と同じように生きようとする気迫に心を打たれました。
銀行時代にも今の仕事でも、普通に仕事だけをしていたら、まず経験の出来ないことでしたから、それは今まで社会人として経験した価値観の幅を大きく広げてもらったと思います。
JCに入会していろいろなタイプの人間に出会いました。私が福祉委員会に所属している頃、大山さんというメンバーがいて、学校関係の黒板や白墨等を製造する会社を経営していました。その会社は障がい者を積極的に採用していて、社員の約8割ほどが障がい者だったような気がします。びっくりしたというか感動したというか・・。今まで私が経験してきた仕事のなかでも障がい者の方はいましが、積極的に採用はしていませんでした。ましてや8割も採用しているとは・・・。
福祉委員会に所属し障がい者の方達と接して社会的弱者の視点を理解していったことで、「世の中はまだまだ障がい者の方達のことを考慮していないのだなぁ」と思ったり、ハンディがある分普通に生活することも大変なのに、そのハンディを乗り越えて逞しく生きていこうとする姿に、一人の社会人として尊敬の念を抱いたりしました。だからこそもっと障がい者の方達と社会との接点が必要ですし、我々からももっと近づいていくことが大事なんだと思いました。でも普通はなかなかそのような機会もないし、勇気もないんです。理屈で分かっていても、実際に生活の一部として、障がい者の方達と一緒に生きていくという選択をできることは本当に凄いことだと思いました。
ハンディキャップを持った方達が作る白墨が、この国の未来を担う子供たちの教育の一助になっていると思うと、「大山さんの仕事はすごく意義のあることなんだなぁ」と感じていました。福祉委員会には、会社の規模こそ大きくはありませんが、志高く障がい者の方達のために、自分や会社の労力を投入し、実践しているメンバーが他にも多くいたものでした。
山本氏が取締役副社長を務める山本海苔店のホームページ
第3章へ 続く
山本 泰人
(やまもと やすひと)
主なJC歴
- 1978年
- 入会
- 1981年
- 福祉委員会 委員長
- 1982年
- 自治行政問題特別委員会 委員長
- 1984年
- 日本JC 広報渉外委員会 委員長
- 1985年
- 副理事長
- 1986年
- 理事長
- 1988年
- 特別顧問
- 日本JC 財政顧問